人質の経済学
『人質の経済学』。物騒なタイトルの本だ。
そして、中身はもっと物騒かつ深刻だった。
中東やアフリカで頻発する外国人の誘拐。その『ビジネスモデル』の詳細、犯罪組織の成り立ちや実情、そして、各国政府の対応の内幕が、身代金の交渉人や、誘拐された本人・家族らのインタビューを含め、詳細に語られている。
金払いNo.1はイタリア
著者は、マネーロンダリングとテロ組織のファイナンスに関する研究の第一人者で、イタリア人女性。
本書によれば、イタリア政府は、自国民の身代金を要求された際、『金払い』が、もっともよいらしい。
と聞くと、人道的に思えるけれど、その金払いのよさゆえ、多くのイタリア人が誘拐されているというのだから、皮肉な話だ。
犯罪のグローバル玉突き現象
そして、年を追うごとに身代金の相場はつり上がり、イスラム世界の混乱、シリア難民、と事態はますます複雑化して、そこにさらなる犯罪がはびこるという悪循環。
元はと言えば、アフリカに麻薬が持ち込まれ、それが誘拐に発展するようになった、というのが、世界中でテロやマネーロンダリングの防止に携わる人々の共通見解らしい。
そのきっかけとなったのは、9・11を契機にアメリカが制定した『2001年愛国者法』なのだという。
それがどのようにして、誘拐ビジネスにつながることになったのか?
この法律により、ドル取引のすべてを米国政府へ届け出ることが、金融機関に義務付けられる。
これに影響を受け、行動を起こしたのが、コロンビアの麻薬カルテルだった。
彼らは、麻薬取引の利益のユーロ決済によるマネーロンダリングと、コカインをヨーロッパに持ち込む新たなルートを開拓するため、イタリアの犯罪組織に接近。
さらに、この『ビジネス』に、アフリカの密輸業者たちが加わる。
地球儀が必要な密輸ルート
これにより、コカインは、まずベネズエラから大西洋を渡って西アフリカへ。そこからは、アフリカの密輸業者たちが、サヘル地域(サハラ砂漠南縁部)を陸路で運び、モロッコ、アルジェリア、リビアの地中海沿岸へ。そこから、小型船でヨーロッパへ持ち込む、という密輸ルートができた。
(このルートを頭の中でたどるのに、苦労した。自分の思い描いている『世界』が、日本を中心にした平面地図だということに気づかされる)
誘拐は金になる
そして、2003年、サハラ周辺で密輸をしていたグループが、アルジェリアでヨーロッパ人旅行者32人を誘拐。
この時に得た莫大な身代金で『イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ』が創設されるとともに、それがきっかけとなって、他の犯罪組織でも、資金調達の手段として、欧米人の誘拐が頻繁に行われるようになる。
誘拐ビジネスのリソースと人質の転売
こうした誘拐に手を染める組織は、ジハーディストの武装集団もあれば、ビジネスとしてやっている組織(隠れ蓑としてジハーディストを標榜するケースが多い)、ソマリアの海賊、はたまた、地元のならず者の寄せ集めのようなグループもあり、規模も性格も千差万別。
ただし、誘拐は人質の拘束が長期に及ぶと、費用もかさみ、監禁場所や監視役などが必要なため、そうした『リソース』を持たない組織は、身代金交渉が長引くと見れば、より大きな組織へと人質を『転売』するのだという。
「19件の誘拐案件を抱えているので」
そして、残念ながら、どの国も政府の対応は往々にして遅れがちで、しかも、解決する間もなく、次なる誘拐が起きる。
誘拐されたあるイタリア人の家族の証言によれば、イタリア外務省から、
「いましばらく待ってほしい。なにしろ19件の誘拐案件を抱えているので」
と言われたそう。
善意と正義の有効範囲
誘拐の被害者の多くは、ジャーナリストと人道支援活動家で、中には、こんなケースも。
イタリアの人道支援活動家の二人は、シリアのアレッポで、スパイと間違われて誘拐・拘束された。
『役にも立たない医療キットを持って、わざわざシリアに来るわけがない。スパイに違いない』
と誘拐組織は思い込んだらしい。
このエピソードを読んで、すごく考えさせられた。
こうした危険地域で支援を行っているような人道支援活動家たちが、強い正義感と信念を持った善意の人であることは、間違いないと思う。
けれども、そうした善意や正義が有効に作用するのは、あくまでその人自身が持つ世界観の中に限られる、ということなのかもしれない。
暗黒のゴールドラッシュ
結局、この二人の身代金として、イタリア政府は1300万ユーロを支払った。
正確に言うと、支払ったのは、事実を知らされない納税者ということになる。
そして、誘拐組織は、こうして得た身代金を原資として、難民の密入国斡旋へと手を広げ、莫大な利益を上げている。
かくして、ヨーロッパに大勢の難民が流れ込む。
流入しつづける難民に、ヨーロッパ各国は苦慮している、というのが大方の見方だろうけど、一方で、『難民事業』で一儲けする業者も多い。
使われなくなった建物を安く買い取り、難民収容施設として運営、政府から補助金を得る、という『ビジネスモデル』は、今やヨーロッパ全土に見受けられるとのこと。
こうした状況を難民の人たちの目線で見たら、破綻国家の人々を食い物にする、先進国の『マッチポンプ』のように感じられるのではないだろうか? そう考えると、重く暗い気持ちになってくる。
世界観の修正
上記の他にもまだまだ、現実感覚が麻痺してきそうな事柄が、続々と出てくる。
2014年のイスラム国による日本人二人の殺害にいたる経緯についても、説明されている。
また、危険地域を取材するフリーランサーに、大手メディアは、記事1本で200ドルしか払わないという実情。
年間1000人を超す誘拐を実行するソマリア海賊の『ビジネスモデル』と、そのトリクルダウンによって回っている、ソマリアの経済。
こうした一見バラバラに思えるようなことが、元をたどってみれば、とこかでつながり、連鎖しているのだった。
グローバリズムによって『仕切り』のなくなった世界では、どこかの国で起きた問題が、意外なところに、思いがけない形で飛び火してしまうのだと思う。
この本に出てくる事柄を知らなくても、日本で生きていくのに不自由はないだろうけど、読めば必ず、自分の中の『世界観』に修正を迫られる。そんな内容の本だった。
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