会計と人生の説明責任
財務会計論Ⅰにとりかかる。
指定テキスト『財務会計講義(第18版)』と、シラバスで指定されている参考文献のうち、この2冊を読み込み中。
1の本は、法政大学の永野則雄先生の著書。
地固めに最適
通信テキストの簿記Ⅰ・Ⅱも、永野先生によるもので、とても丁寧でわかりやすい内容だった。(ちなみに、テキスト内には、HS商店、法夫くん、政子さんが登場する。このへんはベタでいいと思う)
この『ケースでまなぶ財務会計―新聞記事のケースを通して財務会計の基礎をまなぶ 第7版』も、通信テキストと同様、ですます調で丁寧に説明を積み重ねる感じで、わかりやすい。簿記から財務会計論へと移行するための地固めとして、最適の一冊だと思う。
人生の説明責任
この本の中で、『財務会計』からは少々脱線するけれど、会計責任<accountability>という言葉に関連して、とても印象的な一節があった。
英語では "go to one's long account" という言い回しあるいはそれに類似した表現があるそうです。これは、どのように一生を送ったかを説明するために神の前へ行く、といった意味だそうです。つまり、死ぬことです。特にキリスト教では、人間の身体は神から授かったという考えがあるようです。すなわち、神から身体を委託されているというわけです。この委託された身体という財産をいかに運用したか、つまりどのような一生を送ったかを説明する義務すなわち会計責任が人にあるのです。死んだときには神が納得するような説明を行うわけですから、大変なことです。キリスト教が自殺を認めないのは、神から委託された身体を自分で損なう行為は神に対して申し開き(つまり説明)ができないからでしょうか。
これを読んで、私自身は特に信仰する宗教をもっていないけれど、「委託された身体をしっかり運用できているか」という問いに、どきりとした。
説明責任、ちゃんと果たせるだろうか?
書籍情報
↓参考文献1
↓参考文献2
↓財務会計論の指定テキスト
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