はたらかないで、たらふく食べたい
タイトルに魅かれて読んだ本。『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』。
この世のありとあらゆる常識について、ぐにゃっとした変化球で疑問を投げかけられて、まだ全部消化できていない。
その中のひとつ、仕事観と結婚観について。著者が結婚を前提にお付き合いしていた女性にふられたエピソードが出てくる。
アナキズム研究が専門の著者は、三十代半ば。大学の非常勤講師をしながら、論文を書いたり、デモ活動に参加したりする日々。そんな彼に業を煮やした婚約者が、こう言い放つ。
「もう我慢できない。おまえは家庭をもつ、子どもをもつということがどういうことかわかっているのか。社会人として、大人として、ちゃんとするということでしょう。正社員になって、毎日つらいとおもいながら、それをたえつづけるのが大人なんだ。やりたいことなんてやってはいけない。仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことしかやろうとしないのは、わがままな子どもが駄々をこねているようなものだ」
こんな身も蓋もないことを言われた男性の心痛は如何ばかりか。とはいえ、彼女も元来、決して鬼のような人なわけではなくて。。
わたしがかの女を好きになったのは、カメのかたちをしたメロンパンをもらったからであった。まわりでおこっていることなんてなにも考えずに、わたしのためにパンを焼いてきてくれたのがうれしかった。その無償の行為のなかに、いとおしさをかんじたのであった。
カメのパンを焼くやさしい女性から、上記の鬼発言へと豹変したというわけではなく、おそらく彼女自身も『毎日つらいとおもいながら、それをたえつづけるのが大人なんだ。やりたいことなんてやってはいけない』と自分に言い聞かせて、がんばって働いているのだと思う(彼女は公務員)。
それなのに、自分のことを愛している、結婚してくれ、と言う男性が、そんな『当たり前のこと』さえしようとしないのは、愛情も誠意もない、と感じてしまうのではないだろうか。当然ながら、そこにまったく悪気はなく、自分自身をも押し殺しているところが、やるせない。
『大人として、ちゃんとする』って、どういうことだろう?
私も時々、仕事で不条理に直面した時とか、仕事とはしんどいものであり、これにたえるのが大人なのだ、と自分を言いくるめることがあるけど、はたしてそれが本当に大人ということなのか? もしかしたら、面倒な葛藤とか、チャレンジすることに怖気づいて、むしろ楽な方を選んでいるだけなのかもしれない。
こんなふうに考えるのって、青臭いんだろうか? カメのパンの彼女に、猛烈に怒られてしまうだろうか?
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