GoTheDistance!ジェニファーの法政大学通信ブログ

法政大学通信ブログ by ジェニファー。法政大学通信教育課程・経済学部商業学科に2015後期入学(3年次編入)。試験やリポート、学習の内容と進捗状況、日々の気付きなど。Go the Distance!最後までやり遂げよう!

広告

できる男はウンコがでかい

できる男はウンコがデカい (宝島社新書)』。破壊力のあるタイトルだ。でも、中身は破壊力で笑かすだけじゃなかった。

カイチュウ博士と呼ばれる著者の専門は、寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学。以前読んだ『脳はバカ、腸はかしこい』がすごく面白かったので、同じ系統の内容だろうと予想していたけれど、それよりも内容的に守備範囲が広い感じ。免疫システム、脳科学、メンタルヘルスのメカニズム等に興味のある人は、特に楽しめると思う。

そして、ウンコに始まり、人生までをも考えさせられるのだった。例えば、世界のトイレ事情。

砂漠地帯では、お尻をふくのは豊富にある小石や砂です。エジプトなどの熱帯地域では、小石を拾ってすぐに使ったのでは、おしりが火傷してしまいます。そこで、歩きながらちょうどよい小石を集め、ポケットに入れて冷やし、ウンコに備えるそうです。

一方、日本では、一日に使われるトイレットペーパーの長さは、地球24周分だそうだ。熱々の小石に比べると、なんかヤワな感じがする。実際のところ、現代日本人は、相当ヤワなのだった。

ウォシュレットのような水圧のある水で肛門を洗っていると、肛門を守っている皮膚常在菌が洗い流されます。(中略)トイレに行くたびに肛門を洗っていると、皮膚常在菌の再生が間に合わず、肛門は脂肪酸の膜がつくられなくなって、中性になります。中性の皮膚には細菌がくっつきやすく、ウンコの中にいる腸内細菌にもやられてしまうほど肛門をヤワにします。

お尻だけじゃない。薬用石鹸による手洗いのし過ぎで皮膚常在菌まで洗い流してしまうと、脂肪酸の皮脂膜がつくられず、病原性のあるウイルスや細菌、アレルゲンがくっつきやすくなる。

こうした清潔志向が逆効果となる、もっと残念で怖い事例が、集団食中毒で多くの死者を出した、O-157とO-111。

その実態は、とてもヤワな菌です。菌のエネルギーを全体で100とすれば、70を毒素の産出に使ってしまうため、生きる力は30しかない、弱い菌なのです。雑多な菌がたくさん活発に動いているような場所では、他の菌にたちまち退治され、生きのびる力を持っていません。現に、発展途上国ではO-157やO-111で集団食中毒は起こしません。O-157やO-111が流行するのは、先進国の給食室やレストランなど、世界で最も清潔な場所です。雑菌がいない場所では、ヤワな菌も我が物顔に猛威をふるえるのです。

雑菌のいない清潔な生活環境は、病原菌にとって、天敵のいない独壇場となってしまうという皮肉。

ちなみに、学校給食でO-157による集団食中毒が起こった時に、重篤な状態に陥った子どもが大勢いた一方で、同じものを食べながら、下痢すらしなかった子どももいたそう。調査の結果、その子たちは、毎日外遊びをして、無意識のうちに土壌菌を体内に取り入れ、免疫力を増強させていたとのこと。

そして、その免疫の働きは、およそ70パーセントを腸内細菌が築いている。腸内細菌は、体の健康ばかりか、メンタルにも重要な役割を担っており、

人間の幸福感は、腸内細菌の量に相関します。なぜなら、セロトニンやドーパミンなど、人の幸福感や意欲にかかわる、「幸せ物質」と呼ばれる脳内の神経伝達物質は、腸内細菌がその材料となる前駆物質をつくって脳へ送っているからです。そのため、毎日食物繊維をしっかりとって、腸内細菌の数を増やしておくと、脳内の幸せ物質の分泌量は増え、人の幸福感は必然的に高まるのです。

なんか、脳よりむしろ、腸の方がエラいんじゃないかとさえ思えてくる。事実、

生物の進化の歴史を紐解けば、最初に神経系ができたのは脳ではなく、腸だったことがわかります。生物は歴史上8~9割もの期間、脳を持たずに生きてきました。生物の進化は、腸を中心に行われてきたのです。

つまり、腸と脳では年季が違う。拙速に進化をとげた人間の脳は、それゆえ誤作動も多いということか。(このあたりについては、『脳はバカ、腸はかしこい』にくわしい)

ところで、この本の中で個人的に最も心に残ったのが、著者が感染症の調査のために訪れた、インドネシアについての記述。

イスラム教や仏教には「喜捨」という教えがあり、「お金を持っている人が持っていない人に施しをさせていただく」という精神がインドネシアには根付いています。(中略)つまり「喜捨」とは、「たまたま余っているので、捨てるかわりに自由に役立ててください」という考え方です。喜んで捨てるという行為です。自分に必要ないものを捨てるつもりで人にあげるので、見返りや感謝の気持ちは期待しません。そんな「喜捨」の精神で人と接していると、ねたみやひがみ、恨みの気持ちがうまれなくなります。他人に感謝を求め、期待する気持ちを持たなくなると、「自分がどうしたいのか」という、自分に軸を置いた考え方ができ、生きるのが楽になるのです。

 我が身を顧みて、すごく考えさせられるのだった。

インドネシアでは「ありがとう」を「テレマカシー」といいます。これは、「もらって当然」という意味であり、感謝するという意味は含まれません。

テレマカシー。なんか、すごくいいな、と思う。時として、受けた恩を少々重荷に感じてしまったり、逆に親切の押し売りになることを恐れてしまうことがあるけれど、テレマカシー(もらって当然!)なら、もっと屈託なく、善行のやりとりができそうな気がする。

ウンコの本なのに、いや、ウンコだからこそなのか、心の浄化作用があった。気持ちをおおらかに保つことは、腸内環境にも重要なのだった。

書籍情報

 

関連記事

男性は何のために存在するのか?

お父さんのバック転、部長の大車輪

ダライ・ラマ愛の詩集

広告

 

広告